白のエチュード〜格子欠陥

   発症

命のベクトルが失速する
脳細胞が発熱する

照りつける太陽
揺らめく陽炎
その夏はことのほか熱かった

夢を見た
夢を見ていた
その夢はたいていの場合そうであるように
長く そして脈略のないものだった
夏の日の発症
危うい記憶

僕の心は吐血する
露呈された血液は凝固する
凝固した血液は命の発路を閉塞する

長い昏睡
大地の祈り
命の詩
沈黙の音
聞こえない

末期症状
戻らない肉体
僕は毎晩のように屋上に上り詰めた
ただ 泣き続けるために


   第三病棟の夜

誰のために
何のために
乾いた大地を走り切った時
抑えようのない震えに怯えた
闇の中で走り詰めた大地
僕は夢を見ていたのかもしれない

海は乱気流を飛ばし続けた
はるかな空 遠い星
さめざめと明かした夜
尽きない想い
僕はいったいどうしたんだろう

光の街へ行った
いけない都市を見た
執拗な性病に冒された友人を愛した
どうしたんだい
そう声をかけるのが精一杯だったのに
誰彼となく挨拶をかわした
そして雪のなかの発病を夢見る
連絡船
帰ることはできない
誰も
何時でも
それを否定してくれる人が
欲しい

熟成
そして腐敗
危険過ぎる薬物投与
夢にうなされながら第三病棟を彷徨った
それが全て終わったことなら
終結したことなら
この夢の続きを
終わらない夢のつづきを
手渡す術を考えなくては

恒星がきらめく
ほうき星がざわめく
愛する人はいない
この世のものとは思えない苦しみ 痛み
そして 出血
知っているつもりだ
裏切られる辛さ
抑えようのない寂しさ
知っているつもりだ
明日は来ない
陽も昇らない
僕はそんなところにいるのだろうか


   再生

走破せよ
隔離と疎外の町並みを
いつわりの友情を破砕して

あの輝くような時代に
僕たちを縛りつけていたのは
何だったのだろう
雨だれの音を聞いても
たんぽぽの花びらを散らしても
無くした時間は戻らない
そんな仮説を振り払うように
僕は記憶を再構築し始める

生贄の泉を離れて
不死鳥が羽音微かに飛び立っていく
僕には聞こえる
生死を超えた刃先の上で
君がゆっくと蘇生していく鼓動が


   凶器としての夏(夏によせて1)

素粒子を散りばめた夕景の向こうに 
激しく膨張した太陽を見ていた
夏は僕の内なる叙情を越えて
激しく核融合を起こしていた
全ての起点としてのエネルギーの源
全ての到達点としての感性の末路
僕は自問自答する
この夏は敵か味方か
夏に殺されるとすれば
僕の幸福は全うされる
そんな幻覚はいつも僕を励起させる
不快指数100パーセント
あの日と変わらない
優しく熱い凶器の季節


   溶融反応(夏によせて2)

夏よ
ありったけの花びらを散りばめて
休日を貪る 硬直した肢体よ
レモンスカッシュに浮かぶ
肥大した偽りの太陽を狙え
僕は何時まで生きるのだろうか
そして 何時から僕は死ぬのだろうか
全てが夏の幻の中での出来事ならば
優しさの発路を僕は見いだすだろう
ダダイストの行列
キュビズムの行進
照射角度90°
この日射しは僕の意志までも溶融する
かすかに生存する肉体を越えて


   抗体(夏によせて3)

ひまわりの花びらを揺らして
濁流が渦巻く
病理のシェルターから這い上がる
真夏の太陽を超越する照明弾
熱帯夜の市街戦
僕の乾き切った肉体は休むことを許されない
振り絞れ 汗
渇き切れ 涙
あと 幾つの夏を越えれば
咽が潤おうのだろう
体をゆがめて走る僕にまとわりつく狙撃兵
既に夏は感傷の色を越えて肉食獣の顔をしている
宇宙の季節の中で
夏がひるむことはない
僕の全ての体中の組織が再生されようと
夕立ちの中で再び君に出会おうと


   偽りの夏(夏によせて4)

細く突き出た岬の先端で
夏の終りの激しく煮沸した夕陽を見ていた
夕陽は実存を越えて
僕にとって抽象の形態をなしていた
宇宙を体感させる円形の輪郭
彩度の高い赤色光
僕は宇宙における夕陽の意味を感じ取ろうとしていた
君に出会ったのはそんな時かもしれない

君は変幻自在な背景を伴っており
僕に向かって叫んでいた
君の発する声の波動が
僕に到達することは許されなかったが
君の震えるような唇の動きが
僕に君の意志を理解させた
「私をこわして」
僕は途方に暮れた
どうしたら君を壊すことが出来るのだろう
僕自身生きる術を既に失いかけているのに

そこは 原始的な生命の氾濫した
白亜紀のジャングルだった
僕たちは永く生き過ぎてきた
文明という名のもとに運命付けられた
起爆装置に縛り付けられて
黄砂が舞う
流れ星が降りて来る
君の背景は知らない惑星の荒野の形に変貌していた
「私をこわして」
君への想いはうずくまる胎児の形をしている
僕には君を壊すだけの力はない
君を愛する力が残っていないように


   許されるべき生

どんな仲間に出会ったのか
どんな病原体に冒されていたのか
思い出したくなかった
握り締めたこぶしが熱い

死は僕たちに優しく語り掛けた
生を全うせよ
きらめく恒星を見つめよ
僕は出来ないと言えなかった

僕たちに何の罪もない
何の罰も科せられない
だけど どうして
あの屍の行列を直視出来るのだろう
君が走るのを恐れるのだろう
絶対温度0ケルビン
体温が違うために触れることさえ許されない友情
忘れるものか
押しつぶされるものか
全てが終局の色をしていても

麻酔弾
自白剤
僕は生きていてもいいですかと聞きはしない


   絶対座標

北の凍り付いた極海
寒さが 大切な人の名前を忘れさせた
僕は手帳を探す
読めない言葉
判読出来ない文字
僕が思い出したい人は誰だったのだろう

西の大地への逃避行
灼熱の砂塵が景色を熱くする
穏やかな旅をしたはずなのに
覚えているのは
「息子を返せ」
「かあさんを返せ」
「とうさんを返せ」
「妹を返せ」
「弟を返せ」
僕には返すことが出来ない
誰にも返せない

東の都市へ行き着いた
無機音楽が鳴り響く
昼も夜もない喧噪の中を
僕は探し求める
群集に銃口を向ける
「心を見せろ」と

果てしなく南に向かう道
明るさは目眩の前兆へと変異する
海の見える丘に立ち
空を眺める
ここには二つの太陽と
三つの月が見える
ここが惑星か
それとも衛星なのか
それさえもどうでもいいと思っている
宇宙は僕の孤独を投影する
過ぎた日の想い出は記憶から既に放棄されている
それだけで心は激しく嗚咽していた
もう人を好きになることはないだろう

それでも生きていかなければ
そう思い直した僕は
母星へ発信を始める


   白のエチュード

想起せよ
烙印と迫害の
決別を

封印された欲求が発路を求めて溺死する
拘留された意志が真昼を目指して失速する
あんな夢
こんな夢
僕たちの内なる宇宙の前では
ちっとも大きくない
血液と睡液と精液を流しながら
白骨化するのが僕たちなのか

赤い狙撃者と
緑色の有機生命体と
青い夜が
僕の墓標を求めて発信する
三つの敵あるいは味方は
戯れ 交わり
結晶化し
そして歌い始める
白のエチュードを


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