丘の上の風景

 私は、何度か友人と通ったその場所に、今日久しぶりに訪ねてみた。そこは、街中から少し外れた所にあり、国道を渡り、しばらく行くと少しきつい坂を登った小高い丘の上にある。辺りの景色は、街を過去から振り払うように、新しい住宅が幾つか立ち並んでいたり、道が綺麗に鋪装されていたりと、だいぶん変わっていたが、遠くに小さく見える、市街地の様子は昔と変わらないように感じた。

最初に友人からこの場所に誘われたのはもう十年以上前のことだった。
−一人で行くのは辛いから付き合ってくれよ。
そう言われて、訳も分からず、私は彼に付いて行った。
−あそこに灯りが見えるだろう。
 あれが、彼女の家なんだ。
−じゃあ、逢いに行けよ。
−駄目なんだ。
 今、亭主がいるから。
私は、この言葉で彼がどういう境遇にいるのか、あらまし見当が付いた。
−何しに来たんだ。
−彼女の家の灯りを見に来たんだ。
 逢えない日には時々そうしているんだよ。
−お前、そんな辛いこと止めろよ。
−ああ、そうしたいと思っている。

 私は実は彼の他にもう一人、許されないの交際をしている女性を知っていた。この友人は何処か影のある感じの人物だったが、その女性は明るく快活な女性だった。こういう境遇にいる人は、二つのタイプに分かれるらしい。一つは、こんな辛い思いもうしたくはないというタイプ。もう一つは、普通の恋愛なんて、心が燃えないというタイプ。私は、二人とも前者ではないかと感じていた。

 二度目に行った時は灯りは付いていなかった。三時間待った。けれども灯りは付くことはなかった。
−二人で外出しているのかなあ。
 それとも、別々に出かけたのだろうか。
−どっちかで違うのか?
−二人で一緒なら悲しまなければならないだろう。
 別々で彼女が他の男と一緒なら、
 彼女はそんな女だと諦めることが出来るかも・・・
 いや、その場合もやっぱり悲しいのかなあ・・・
−お前も大変だなあ。
そう言って、私は本当に同情したものだ。

 古典を読んでいると、現代の言葉と同じかどうかで、言葉の重要性、流動性を知ることが出来る。例えば、服のことは「衣(きぬ)」、家のことは「庵(いほ)」などと現代とは違った呼び方をするが、自然描写などは現代とあまり、変わらない。服や家は流行によりうつろいゆくものだからだろう。そして、人妻は平安の昔もやはり「人妻」と呼ぶのである。

 三度目に行った時にはもう、すっかり終わりかけていた。
−最近、どうなんだ。
−どうもこうもないよ。
 連絡がとれないんだ。
 どうも、彼女が逢うのを拒んでいるようなんだ。
しばらく間が空いた。
−なあ、人が生きるってどういうことなんだ。
−まあ、心臓と肺が動いていて脳が活動していることかなあ。
−じゃあ、生きるって意義は?
私はちょっと茶化したことを反省するように答えた。
−それは、進化だ。
 人間も動物も進化することを運命づけられているんだ。
 その為に生きている。
 人が一人一人生きていなければ進化もない。
その時、二人の視線の先にある家の二階の灯りがともった。そして僕は思い出したように、問いかけた。僕たちはちょっと珍しく現代詩と写真が好きで、何時か写真詩集を出そうなどと話し合っていた。
−このまま終わるとして、
 君の固有の悲しみの色合いはどう処分するつもりだ。
 君は何時も、あらゆる悲哀も苦痛も負の変光星として、
 この世に再生すると主張していたじゃないか。
−そうだなあ、この悲しみの色合いは何時か、君に伝えるよ。
彼はちょっと俯き、そして夜空を見上げるような仕草をして、そう言った。

 あれから長い月日がたった。その色合いは彼から久しぶりに届いた年賀状に書かれていた。端のほうに、ひっそりと、小さな文字で。それは「恋歌七首」という短歌で、私は掲示板の自分のトピの居場所を上げる為に掲載した。彼の光り輝く色合いを知らしめるためには、相応しくない方法だったかもしれないと、少し後悔している。

 彼から届いた年賀状を見ながら街を眺めた。変化していく街は進化しているのだろうか。今もこの街の何処かで幾多の悲しみの色合いがきらめいているのだろうか。

 帰りの下り坂では、来る時よりも街の全貌がよく見えた。

BGM:谷山浩子「夜のブランコ」

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