ネットの向う側

 僕はその頃、ネットの掲示板に入り浸りになっていた。そして、永い間、慣れ親しんだ、孤独が妬ましく、メンタルカテに「癒して下さい」というトピを打ち立てた。普通女の人がこのようなトピを立てたなら、男の人がわんさと寄ってくるのだが、男がこんなトピを立てても誰も寄ってこない。仕事に疲れ果てて自宅に戻ると、まず、パソコンとモデムの電源を入れてから食事をする。そして、食事をしながら掲示板を見る。そんな生活をしていた。トピの居場所はどんどん落ちて行き、後、一日で消滅しそうになるという日のことだった。一通のレスが返ってきた。僕は喜びいさんでレスを開いたが、その内容は意外なものだった。

−疲れたな。
 新しい彼女と明るい未来に向かって、
 前に進もうとしている彼の、
 裾に追いすがって、地べたを這いつくばりながら、
 「行かないで!」と叫んだり、
 あの人を忘れる為に、出会った人と、
 その日のうちにホテルに行って、
 「捨てないで!」
 と泣いたりして、何度も同じことを繰り返すの、
 もう、疲れたな・・・
 7月31日、一年で一番熱い日に、
 私は溺死するだろう。

 てっきり自分を癒してくれる内容だと思っていた僕は立場が一転して、レスの主にアドバイスする立場になった。

−死んだら、もう生き返ることは出来ない。
 死を急ぐことはない。
 精一杯生きてみて、それでも、駄目な時に、
 死ねばいい。

 梅雨が終わる時期だっただろうか。こうやって、掲示板という不確かな空間における二人の会話が始まった。
(掲示板では全くの作り話を投稿するということもあるのだ)

−生きる力のある人は生きればいい。
 死にたい人の気持ちは生きている人には、
 分からない。
−君が死んだら、どれだけの人が辛い思いをして、
 迷惑がかかるか、分かるのか?
−誰も、辛い思いをする人がないから、死ぬの。
 誰も迷惑がかからないから死ぬの。

 会話がすれ違い、やがて、7月31日を迎えた。その日は掲示板でチャット状態で会話をしたので、よく覚えている。

−君は、死ぬのか。
−さようなら。
 付き合ってくれて有難う。
−君の心、君の体、全て命あってのものだ。
 死は悲しい世界だ。
−悲しくてやり切れないから、死ぬの。
 今日で、あなたと話をするのも最後ね。
−ちょっと、待って。
 こうやって心を通わせた僕の気持ちは、
 何処に捨てたらいいのだ。

 会話の途中で急に彼女からのレスが途切れた。僕は何度も彼女に問いかけた。けれども、彼女は二度と現れなかった。その後彼女を待って、半年間つまらないネタでトピを上げ続けた。しかし、それは無駄な努力に終わった。

 今もその時の彼女(正確に言えば彼女の言葉)を思い出す。あれは、夏の日の幻だったのか。それとも、単なるいたずらだったのか。それとも、一人の女性が自ら、その命に終止符をうったのか。今もってわからない。

 悲しくてやりきれない、という彼女の言葉は今もよく思い出す。

BGM:新山詩織(原曲:フォーク・クルセダーズ)「悲しくてやりきれない」

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