サウンド・オブ・サイレンス

 人は死ぬ前に、ふっと力が抜けて、気がふれるような瞬間があるのではないか、そんなことをふと思うことがある。美しく、悲しい発狂。恐らく、死に至る瀬戸際の体験によってのみ得られる、感覚。そんなことを今になって感じている。

 その頃私は手術の古傷が痛み、病院にいた。痛みは、のたうち回るというほどではないが、苦しく、我慢が出来なかった。我慢が出来ないのに、我慢しているというのは変な話だが、多分に神経からその痛みはきているらしい。つまり、あるはずがない痛みが存在しているという、幻視痛に似たものではないかと感じている。

 病院では6人部屋だった。苦しくて、歩くことが困難だった。起きているのが辛かった。ある日、看護婦さんが私の前の人の看護をしている時だった。私は、苦しさの中から突然、珍妙な行動に出たのだった。看護婦さんに向かって突然変なことを、馴れ馴れしく喋り始めた。

「ねえ、サウンド・オブ・サイレンスって知っている?ほら、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの歌で映画『卒業』の主題歌だよ。」

 無口で内気で人見知りのする私にとって異例の行動だった。それから、サウンド・オブ・サイレンスを翻訳しながら延々と歌い続け、説教を始めたのである。

サウンド・オブ・サイレンスはこんな詩なんだ。ほぼ、完璧な詞だよ。人々は自分たちの作ったネオンの神に頭を下げて祈ったという、5番の歌詞を読むと文明批判的な意味合いが明らかに感じられるよねえ。つまり、この歌は自ら作り出したものに支配されてしまうというレトリック・不条理を描いているんだ。タイトルの『静寂の音』からして不条理だよねえ。
『彼らは話すことなく語り、耳を傾けることなく聞いている』というのは明らかに不条理だよ。
『預言者の言葉は地下鉄の壁や安アパートに書かれている』というのも変だと思わないかい?
預言者が告げる神の言葉がそんな所に書かれているはずないじゃないか。つまり、この歌の全編に流れているのは不条理なんだ。人類が生み出した幸福を生み出すはずの文明によって、逆に支配されているという不条理をポール・サイモンは感じていたんだ。この歌は1963年に発売されているのだけれど、前年にはキューバ危機が起こっているよ。そう考えると『街灯の灯りの輪の下で』というのは核爆発の爆炎のようにも思えるよねえ。

 そう言ってみると、会社に勤めている人が出勤して同じようにWindowsの起動画面を眺めるのが、無気味だと感じるのは僕だけだろうかねえ。みんな同じようにトヨタのミニバンに乗り、週末、アメリカのアクション映画を観るのが、ファッショだと感じるのは僕だけだろうかねえ。君たちの中にもいないかい?毎日、お経をあげるように、ネットの掲示板に向かう人が。いや、掲示板に向かうことを宗教にしてもいいんだけれど・・・」

 そう言い終わると、看護婦さんたちは、呆れて笑っていた。そして、こんな訳の分からないことを言う病人には慣れているのか、決められた仕事を黙々と続けていた。その時私は死に至る病の中で、ふっと美しく発狂しかけて、気持ちが楽になったのではないかと思っている。今となってはその記憶が現実のものだったかどうかさえ、怪しくなりかけている。何しろ、入院中は夢と現実が連続していたことがあったりと、変なことが多かったから。

 私の病は、幸いよく効く薬がたまたま見つかり、今、何とかもちこたえている。けれども病気で苦しい時にはあの曲をよく思い出す。人類が作り出した文明という病理に必死に耐えようとするように。

BGM:
Simon & Garfunkel「The Sound Of Silence」

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