炎症反応〜マガダン

 僕たちは、現実、或いは日本を離れるために、ささやかな貯金をはたいて、シベリア行きの旅券を手に入れた。目的地はシベリアのマガダン。オホーツク海に面した10万人都市ということで、小学校の地図帳に慣れ親しんだ頃、何となく憧れていた街だ。もちろん、その時は、マガダンに強制収容所があり、マガダンからサハ(ヤクート)共和国の首都、ヤクーツクに至る「コリマ街道」が生きて帰ることの出来ない片道の「収容所街道」と呼ばれていたことは知る由もなかった。だが、今になって思うと、片道の収容所街道という成りゆきは僕たちの明日を暗示していたのかもしれない。

 海路でウラジオストックへ辿り着いた後は、四輪駆動車をチャーターして、凍り付いた大地をひたすら走るしかなかった。寒い所へ何もこんな季節に行くことはなかったと、少し後悔し始めていた。吹雪の向うに時々霞んで見える山並は明らかに日本のそれとは違う色をしていた。

 彼女はこのとんでもない冒険を内心楽しんでいるようだった。馬鹿なことを言って口説かなければよかった。
「オーロラの見える所に行かないか?」
酒のはずみで軽いことを言った。それだけの目的なら北欧の旅のほうがもっと安全なのは明らかだった。

 丸一日走り続けてマガダンの街を見た時は唖然とした。こんな寂れた街なのか・・・都市というよりは、寒さを避けるように集落が寄り添う場所だった。
2000年のマガダンの人口21万人。
2002年17万人。
まあ、10万都市ならちょっと遊べるだろう。そんな気持ちは甘かった。

 足を棒にして見つけた古いホテルに辿り着いた時は、夕暮れだった。何を話しているのか理解出来ないボーイに案内された、ほんの少しカビの匂う部屋で、二人背中を合わせて座り込み、角砂糖が解け難いコーヒーをすすった。

 その夜、二人は念願のオーロラを見た。

BGM:太田裕美「さらばシベリア鉄道」

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