哀しみの反逆者(2)

 私は思わず走り出した。
「戻れ!やばくなるぞ!」
私はKの言葉を遮った。
「人が倒れているんだぞ!悪いが助けさせてもらう。」
私はその場を離れて駆け出し、子供のそばに近寄った。女の子だった。意識をなくしていた。額に血を流していたが、それほどの量ではなかった。通りがかりの人に携帯で110番通報してもらおうと考えた。最初に通りかかった人はジョギング中で携帯を持っていなかった。次に通りかかったカップルに私は救急車を呼ぶよう頼んだ。当然のごとくと言うべきか、彼らは携帯を持っていた。私は最初に見つけたということで救急車に同行した。

 病院に着くなり、彼女はMRIとCTスキャンで検査を受けた。幸い、脳しんとうを起こし気絶しているだけだった。警察はどうやって調べたのか、彼女の両親を探し出し、私は会いたくないので病院から姿を消すことにした。私は、彼女を傷つけた人間だ。両親と顔を合わせるなんてとんでもない。けれども、この恐怖に近い感覚はなんだろうか。病院の裏口は無防備で、私がこっそり消えるのに丁度よかった。この街にしては珍しくもやがかかった夜道を、私は何かに追い掛けられるように、足早に帰路に着いた。追い掛けている物は、わかっている。そう思っていた。

 翌日、Kから連絡があり、直ぐさま彼が現れた。そして、昨日のことについて、こっぴどく問い詰められた。
「あの場合、一番近い所に人がいたとしても、大事には至らないことぐらい、分っただろう。」
彼は平然と言い払った。Kは頭がいい。理詰めで考える。辺りに人がいない時間と場所を選んだ。従って、見えない場所に人がいたとしても、距離は離れているから、負傷しても大したことはない。彼の考えに間違いはない。
しかし、私は・・・私は、この荒々しい自分の棲む場所で、自分は優しい人間だと錯覚することに酔っていたのかも知れない。その錯覚が、Kが立ち去った後、私を次の行動へと駆り立てた。

「小学生くらいの女の子が喜ぶ物ってどんな物でしょうか?」
私は一度も入ったことのないファンシーショップで商品を探していた。
「そうですねえ。小学生といっても、1年生から6年生までいますから・・・」
そっけない店員の言葉に私は失望して、私は店で品物を選ぶのを止めた。私は、自分が大切にしていた、味戸ケイコの絵本『夢少女』を彼女にプレゼントすることを考えた。この絵本を人にあげるということは特別なことを意味するに違いない。これを、こっそり病院にいる彼女の部屋に置いて来る。情けないことだが、そんな行為を妄想している、自分が、とてつもなく、哀れに思えた。たぶん、母親が付き添っているから、こっそり置いて来るのは面倒なことになりそうだな・・・その方法をあれこれ考えている自分は少しうきうきしているというのを自覚していた。

 その夜、病院へ行った。彼女の部屋は6人部屋であることが分ったが、こっそりプレゼントを置いて来るのは面倒そうだ。部屋の表札を見て、彼女のベッドの位置を確かめた。カーテンで仕切りをしてあるのは邪魔になる。そっとカーテンの隙間から、プレゼントの袋の紐をベッドの端にくくり付けることを考えていた。消灯時間からあまり長くたっていないので、暗い中で寝返りを打つ音や、咳き込む声が聞こえて、不思議な感覚だった。そして、カーテンをほんのわずか開けた。驚いた。彼女は起きていた。暗闇の中で彼女がこっちを見るのを確認することが出来た。とんでもない状況だった。叫び声を上げられても仕方がない。私は不利な状況を逃れる為に、思わず声をかけた。
「やあ。」
「・・・おじちゃん、誰?」
始めて聞く彼女の声だった。
「おじちゃんねえ、この間、お嬢ちゃんが倒れているのを見つけて病院へ連絡したんだ。」
いかにも言い訳じみた説明だった。本当は、自分は彼女を傷つけた人間なのに。
「本当?ありがとう。」
「これ、プレゼント。」
「わー、嬉しい。」
「傷よくなったの?
 寝なくちゃだめじゃない。」
「咽、渇いちゃって・・・」
「そう、看護婦さん呼ぼうか。」
「ううん、下のお店でジュース飲みたい。」
/ お店・・・自動販売機のことだな。この病院はこの街では大きい病院で、1階のロビーに自動販売機がたくさん並んでいる。
「そうか、じゃあ、おじさん、おごってあげようか。」
よせばいいのに私はそう言ってしまった。

BGM:小林麻美「月影のパラノイア」

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