炎症反応〜タクラマカン

 彼女と話し合った結果、天山山脈を越えた後、タクラマカン砂漠の縁を通る、クチャからカラジャルのルートだけをバギーで走ることになった。クチャで探し求めたバギーは、少なくとも20年はたっていそうな代物だった。この地方で使うものらしく、屋根だか幌だか、日射しを遮るものが付いているのは助かる。店の主人からオイルはあるかないか分からないよと言われた時は不安だったが、一応準備は整った。

 クチャからカラジャルまで、その距離およそ300km。これを一日で走ろうというのが彼女の計画だった。理由は信号がないからだと言う。単純計算で、時速60km/hなら5時間。大丈夫よと彼女は笑った。一日分の食料と水を準備してバギーに乗り込んだ。僕は彼女に砂漠ではくれぐれもうかつな行動をしないようにと言った。生命が皆無に見える砂漠も砂の中には色んな生物がいる。例えば、サソリだ。どうせ彼女からは軽々しい答しか返ってこないだろうと思ったが、その通り、彼女は、分っているわよと言っただけだった。

 砂漠の朝は意外と涼しい。というより寒いほどだ。その涼しさが去った後は、文字どおり、灼熱の太陽が襲ってくる。逃げる所は何処にもない。外気温、40℃超。二人はひっきりなしに水を飲み続けた。飲んだ水は体を拒むように汗となって、ふり絞られる。また、水を飲む。水といっても、外国産のスポーツドリンク(まあ、ポカリスェットみたいなものだ)だったのだが、ポカリスェットがこんなに甘いものだとは感じたことがなかった。ただでさえ何時間も車にのっていると、頭がぼーっとするものだが、熱さのせいで、まるで病魔に冒されているような錯覚さえ、蜃気楼のように浮かんでは消えた。

 アクシデントはカラジャルまで後50km(もっとも真直ぐに走っていればだ)の所で起こった。まだ陽は高かった。何でもない砂地にタイヤがスタックしてしまったのだ。恐らく、何かの生物の巣のようなものがあったに違いない。車から降りることを恐れていた僕は、ため息をついた。ところが彼女には驚いた。これまでも何度もそうしたように。突然、かん高く笑い出し、バギーを降りて、砂地を抱きかかえるかのように、俯きにに寝そべってしまったのだ。タクラマカンに触れたいと言った彼女の言葉を思い出した。彼女はこの、何人も受け入れない、不毛の大地を愛撫することによって、地球、いや、宇宙における自己の存在意義を確認しているのだ。そんな気がした。

僕も観念して砂地へ降り立った。
「サソリいないわよ。」
「そのようだな。」
「私たち拒絶されていないのね。」
「そういうこともあるさ。だが、そうでないことも、ままにあるんだ。」
「私たち、この星で生きている・・・」
彼女の唐突な台詞には、いつもいつも、呆れるというところをすり抜けて、感心してしまう。砂漠の熱気が靴を通して伝わってきた。彼女と同じように、砂地を抱くように横たわった。遠くからは、綺麗に見える砂漠の砂もよく見ると、ゴミや昆虫の死骸のようなものが混合しているのが確認出来た。全ては、汚れや醜さや、悲しみや苦しみさえも包括する。そんなことを思った。

 頬に触れる砂がけたたましい熱さだということに気付くのに、1秒とかからなかった。たまらなくなり、寝返りを打ち、仰向けに寝ると、雲一つない天空の過激なそら色が目に飛び込んできた。二人はそうやって砂の上を約1分間(それ以上はいられなかった)のたうち回って楽しみ、悦んでいた。

 結局バギーは通りかかった隊商に助けられた。波打った砂丘に揺られたために、所々軽い傷を負った以外は無事にカラジャルに辿り着いた。お互いの顔を見ると、真っ赤に日焼けしていて、二人笑い合った。

BGM:上條恒彦「だれかが風の中で」

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